イビチャ・オシム監督 動乱の国のスポーツの英雄 

 サッカー日本代表監督でその戦術や哲学は歴代でもピカイチだったオシムさんが亡くなられました。
 旧ユーゴの中でも厳しい情勢だったボスニア・ヘルツェゴヴィナの出身で戦争と政治に翻弄された人生だったとも振りかえているメディアもありますが、さまざまな戦術や生き様の中にも平和な日本を愛していた姿もあります。
 民族を超えて多くのサッカーやスポーツを愛する人に、オシムの言動や指導とその人柄は注目され、尊敬さていました。
 「ライオンに襲われた野ウサギが肉離れするなどあり得ない」
 という名言も日本サッカーの生ぬるさを厳しく諫めました。


 私の住む京都太秦に国内ただ一つのスロベニア料理のレストランがあり、旧ユーゴ出身で京都大学を卒業され日本に定住されたシェフもおられます。日本にとってはクロアチアのストイコビッチなどサッカーが有名な程度で、大きな動乱があってもそれほど注目されたことはありませんでした。
 

 このところのウクライナ情勢で、この5月3日の憲法記念日でも世論調査で、憲法改正やむなし、自衛隊を軍隊と明記して、敵基地攻撃を可能にし、防衛費のGNP2%超えを許容する世論の割合が増えています。
 ウクライナばかりがこれだけの騒ぎになり、シリアやアフガン、オシムのいたユーゴスラビア、ミャンマー、などはなぜ注目されなかったのか、私には疑問です。
 内戦だから、巨大国が他国に攻め込んだインパクトと違うとも言われますが、問題にすべきは戦乱があり難民や被害者の数ではないのかと思います。内乱が自業自得とも思っているのでしたらそれは違います。民族の対立には必ず、戦争を陰で操り煽る大国の動きがあります。
 紛争の火種があり、戦争しても正義を貫きたい世論を焚き付けられると、悲劇が始まります。
 外国に長い外務省の有人曰く、日本が平和で外国から好かれていることに間違いはなく、また敗戦を経験してすぐに近隣諸国に突っかかって紛争になる可能性がないことは素晴らしいことだそうです。

 ユーゴの悲劇はモザイクのような連邦国家が要因です。多くの民族が共存し、あるいは国境を越えて同一民族が別の国家に多数住んでいるということ、領土や宗教などで譲りがたい紛争の火種がある場合がその対立の最終手段として戦争があるのです。

 ユーゴスラビアのケースもアフガニスタン、シリア、ミャンマーなどのケースがすぐ日本にあてはまらないのと同じように、ウクライナのケースは日本にあてはまりません。
 軍備だけ拡張して、戦争が始まってしまっては勝つか負けるかはわかりません。日本は先制攻撃ができない戦いを強いられますから防衛力は無傷でいるのは物凄い大差をつけないと守り切れません。ケンカは先手必勝なのと同じです。日本がぼこぼこに殴られないと、安保条約で米議会の承認を受け米軍が助けに来ないでしょう。
 今の情勢が本当に危険なものなら、憲法改正は待ったなしですし、防衛費GDP比2%超えも今すぐでしょう。5年とか言ってるのは危機でもなんでもないからです。防衛費は比率ではありません。必要な更新時期があれば超えるときもいりますし、無駄な税金を予算ありきで捻出するものではないです。

 台湾の情勢は油断はできませんが、今すぐそれでも中国が軍隊を派遣する情勢ではありません。
 
 今の日本のまわりにすぐ戦争になるような問題はありません。今後ともその芽を摘む方向でいいはずです。

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